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明るい絶望。



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近頃、人が死んだって話をよく聞きます。
ニュースや新聞やインターネットじゃなくて、父から。
父の会社の本社とか支社とかから出張で来た人が帰る時に空港で心臓発作で倒れて亡くなったとか、イギリス駐在の方が突然亡くなったとか、そういうリアルな話を。
過労なのか、今の社会がサラリーマンをそうさせているのかは、分からないけれど、日々誰かが亡くなって行くんだなーと、改めて思いました。怖いなーと。今挙げたサラリーマン二人は、どちらも家庭のある、働き盛りのお父さん。私と同じくらいかもっと年下の子供がいて、きっとこれから築いて行く筈だったものだって、沢山あったんだろうと、思います。残された家族は、この先いったいどうするんだろう。なんかあまりにも身近な現実的な話だったので、少し考えてしまいました。
私は18年間の間に幾度か人が死んで行くのを見送ったけれど、その事って、やっぱりどこかで忘れがちになってしまうの。だけど、もしもそれが自分の父親の死ならば、一生、忘れたくても忘れられないものなんじゃないかと思う。それくらい、父親の存在って大きいと、思いました。単身赴任とかで父親が家に居なくても、生きているのといないのとじゃあ世界がまるで違うと思うから。
人が死ぬって、忘れがちだけど、とても大きいことで、周りの人間さえも変えてしまうような出来事なんだって事を、再確認した。

私が遭遇した幾度かの人の死っていうのは、私の中で後悔があって、一つは、例えば小学六年のクリスマスにお菓子が沢山入ったサンタさんのブーツをじいちゃんに貰ったのに、それが気に入らなくてごねてしまったんだけど、その時本当は、自分の為にじいちゃんがクリスマスプレゼントを買ってくれたって事だけで嬉しかった筈なのに、何故かそのサンタさんのお菓子ブーツが子供っぽく見えてしまって欲しくなかったの。私がごねた時、きっとじいちゃんはがっかりしたと思う。でもじいちゃんは私に違うプレゼントをくれなかった。じいちゃんが正しかったんだって今なら分かるけど、今じゃもう遅い。そのクリスマスの後、年が明けてすぐに、じいちゃんはすぐにいなくなった。じいちゃん家の屋根の雪下ろしを手伝いに行ったら、いつものんびり屋のじいちゃんが既に屋根に上って雪下ろししてたんだ。死に急いでたのかもしれない。その日雪下ろしを手伝って、じいちゃん家でラーメン食った。その次の日からだった。じいちゃんが壊れたのは。私は毎日じいちゃん家に通う母にくっついて、じいちゃん家に行きたかったけど、駄目って母に言われた。その3日後、じいちゃんは遂に病院に入院した。その時初めて、ベッドに横たわるじいちゃんに会った。私は何も、一言も、いえなかった。呼吸をするたびに膨らむ布団のしたの胸とか、動かない瞳とか、一点を見つめた表情とか、何もかもが、私の知ってるじいちゃんじゃなかった。そんなじいちゃんが怖くも思えた。何も、言ってあげられなかった。その次の夜、じいちゃんはいなくなった。生命維持装置をつけないと消えてしまう命だったからだ。母が、もういいと、言った。私は何一つ、できなかった。子供なのに、泣く事さえ、できなかった。棺桶の中で花に囲まれて眠るじいちゃんに、数本の花と、書いた手紙を添える事しかできなかった。その日から、夜眠るとき、背中の後ろにじいちゃんが立っているんじゃないかとか、クリスマスの日私が要らないって言ったサンタさんのブーツのことを怒られるんじゃないかとか、そんな事ばかり考えて、怖くて、眠れなかった。買ってもらった高いベッドや、勉強机が、じいちゃんになって動くんじゃないかとか、私の事を恨んでいるんじゃないかとか、そんな事ばっかり考えていた。だけど私は毎日、学校に行った。担任の先生に、休んでもいいのにとふざけて言われた時、本当はすごくショックだったんだ。学校休みたかったけど、休んだら母が、お葬式とか大人の話し合いとか、色んな手続きとか、する時間が無くなるんじゃないかとか、毎日まぶたを腫らしている母に申し訳ないような気がしていたから。だから、学校では何事もなかったように振舞ったのに、先生に、みんなの前で、休んでもいいのにって言われたんだ。私だって休んで、すっとじいちゃんのそばにいたかったよ。私だってまぶたが腫れるくらい泣きたかった。私だってじいちゃんがいないなんて信じたくなかった。ずっとじいちゃん家に通いたかった。主のいなくなった家がやけにがらんとして見えて、薄暗くて、湿った空気がこもっていて、じいちゃんがいなくなった事をはじめて実感した。じいちゃんに、謝りたかった。クリスマスプレゼントいらないなんて言ってごめんねって言いたかった。せっかく買ってくれたプレゼントだったのに、じいちゃんが、最後にくれたプレゼントだったのに。今も、後悔してるよ。もう、謝れないし高校卒業するんだよっても伝えられないんだ。今まで、じいちゃんが死んだ時あんなにショックだったのに、忘れてたんだ。じいちゃんが可愛がってくれたことも、じいちゃん家に行くとラーメン出前してくれた事も、じいちゃん家のピンポンを押して「こんにちわー」って玄関を開けると「いないよー」って声が聞こえて来る事とか、じいちゃんが可愛がって縁側で飼ってたインコのピーちゃんとか、かさかさした手の感触とか、病院に入院してるのに家近いからって言って脱走してきちゃうじいちゃんの顔とか、誕生日、本当は6月7日だったのに6月6日だってついてた嘘がばれた時の顔とか、もっといっぱいある筈なのに、全然思い出せないんだ。謝ることも、ちゃんと言葉にできなかったありがとうも、沢山ある筈なのに、分からないんだ。あんなに好きだったじいちゃんと、どんな会話をしたとか、じいちゃんがどんな人だったかとか、全然、わからないんだ。母や親戚のおばちゃんから聞くじいちゃんしか、今は知らないんだ。12年も一緒に色んなとこ行ったり色んなもの食べたりじいちゃん家でお茶飲んだのに、全然、思い出せないんだ。じいちゃん家で最後に見たテレビがBSだったとか、宇宙戦艦大和やってたとか、そんなくだらない事ばっか憶えてるのに。今まで何回もお墓参りに行ってるのに、重さも何も感じないままじいちゃんのお墓に手を合わせてた自分が恥ずかしいと、思ったよ。ごめんねって何回言っても、もう届かないのかな。今でも、じいちゃんはひょっこり出てきて今度ラーメン奢るからなとか、焼肉がいいかとか、言うんじゃないかと、思うけど、もうじいちゃんは戻ってこない。私の海馬の中には確かに、じいちゃんが生きてる筈なのに、思い出せないんだよ。ごめんね。じいちゃんがくれたタイのお土産の数珠、今もずっとつけてるけど、こないだ一つ、玉がわれたんだ。ごめんね。でもその割れた玉も、失くさないで持ってるよ。ごめんね。ずっとそれつけてたら、いつかじいちゃんに届くのかな。じいちゃんが買ってくれたベッド、独り暮らししても持ってくよ。ごめんね。幾ら言っても、もう遅いんだと、思うけど、私の記憶の中に生き返るかな、じいちゃん。夢に出てきてよ。そして言ってよ。頑張れよって。ファッション界なんて目指してないで、現実見ろよって。公務員になればいいのにって。アナウンサーになればいいのにって。もっとまともに真面目に生きろって、言ってよ。じいちゃんがくれたお年玉のポチ袋とか、ポチ袋ないからってくるんでくれたティッシュとか、ずっととってるからさ、言ってよ。言ってよ。夢だけにでも出てきてよ。一緒にラーメン食べようよ。焼肉屋で店員にねーちゃんビールって叫ぼうよ。じいちゃんに会いたいよ。こんなに大きくなったのかーって言ってよ。少しは大人になったんだよ。我儘だった12歳の私は、後悔してるんだよ。じいちゃんごめんねって言わせてよ。ごめんね。苦労ばっかりだったじいちゃんに、教えて欲しい事、沢山あったのに。ごめんね。我儘ばっかり言って。可愛くない子供だったかもしれないけど。甘えすぎてたところもあったけど。今なら分かるよ。じいちゃんが私の海馬のどこかで今日も生きているって事。ただ私はそれを認識できなくて、じいちゃんはどこかで生きてるんじゃないかって思ってしまうだけ。じいちゃんがくれた数珠がその証だと、私は思う。
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