明るい絶望。
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はいどおもこんばんわー。
宿題とかテストとか死ぬほどあるのにブログ更新(笑)。きっと朝まで終わんねーだろーなー。へへ。
だってよー。今日、衝撃的な事があったんだよー。
宿題とかテストとか死ぬほどあるのにブログ更新(笑)。きっと朝まで終わんねーだろーなー。へへ。
だってよー。今日、衝撃的な事があったんだよー。
それはそれは6時間目の授業が始まって早々。
クラスん中は相も変わらず騒々しかった。先生は何か真剣な面持ちで、クラスを眺めた。また「うるせぇ餓鬼どもだなー」なんて思ってるんだろーなと思った。
「せんせー何かあんのー?」一人の生徒が言った。先生の表情を察したのかしらん、あの子は...。「...はい。話さなきゃいけない事があるから静かにしてー」。勿論教室内は静かにはならない。先生はそれでも続けた。「最近、化学のA先生が学校をお休みしている事を知っている人はどのくらいいますか?」大半の生徒が手を挙げた。私も知っていた。A先生はここ2週間くらいずっと学校には来ていなかった。出張とか個人的な理由があるんだろうなと思っていた。なおも先生は続ける。「A先生がお休みしているのは、身体の調子がすぐれなくて、病院で検査をしたからです」...そーなんだ...つかそこまではっきり言うか。「A先生は11月の末くらいに検査をして、「がん」だとお医者様に言われたそうで、少し長くなるかもしれませんがお休みする事になりました。その間、代わりの先生が来る事になったので、みなさんもよろしくおねがいしますとの事でした」 ...私は頭の中が真っ白だった。A先生は、去年1年間お世話になった先生だった。こんな可愛げのない無愛想な、その上殆ど会話の続かない生徒に、最初から最後まで変わらない態度で接してくれた。少し贔屓もしてくれた。色んな話をしてくれた。特に好きだというわけではない。だけど「がん」という病気は私にとって物凄く身近なものだから。だから胸の奥にある何かが冷たい手で掴まれたような感覚だったんだ。ものすごく、すごくすごく、哀しかった。
それは、うちはがん家系と言っても過言ではないくらいがんの人がいるからだった。一番近いところで言えば父方の祖父。今年の春、がんだと言う事がわかった。私はショックだった。ものすごい大きな何かに潰されたような気がした。何もできない自分が惨めで惨めで仕方なかった。ちっぽけな人間なんだって事を改めて思い知らされた。哀しかった。人ってこうやって死んでゆくものだったな、と昔の事を思い出した。自己嫌悪に陥った。しかし祖父は、今では抗がん剤治療の回数も減って来ているし、普通に生活している。だけど私は思う。「がん」って病気を宣告された時、本人はどんな気持ちだったんだろうかと。祖母の話では、入院中毎日家族の写真を眺めては涙し、もう立ち直れないんじゃないかってくらい後ろ向きだったらしい。それを知った時、涙が出た。ものすごく痛かった。心が痛むってこういうことなのかって思った。
今回もそう。祖父のことがあったからかもしれない。ものすごく身近な人間がそうだからかもしれない。妙な親近感なのかもしれない。だけどA先生ががんだと知って、あの時と同じくらいこの胸は痛んだんだ。今年に入ってからも、廊下で擦れ違ったら私に笑顔を投げ掛けてくれたし、少し話しもした。もうA先生の生徒ではない私に。なんだか、嬉しかったんだ。だから、A先生ががんなんて信じたくなかった。他人ではあるけれど。何の関わりもないけれど。
そう。病気の話でした。
私にとってものすごく身近な問題だったんだ。痛かった。なんか恐かった。なのに胸の奥に穴が空いたみたいだった。
人が死ぬって、なんだか呆気ない事なんだよね(まだ誰も死んでねぇよ)。何度経験しても慣れられるもんじゃない。その度その度に、ものすごい喪失感に襲われる。小学生の私でも、解かるものがあったんだ。妙に冷めてたあの頃の私でも、何か大きなものを失ったような気がした。きっと今、誰かを失ったら私は壊れてしまうんだろうな。人の存在って案外大きいものなんだよね。
誰かが死ぬってものすごく突然で、ものすごく大きい事で、忘れられないものだね。
(だからまだ誰も死んでねーじゃん。)
クラスん中は相も変わらず騒々しかった。先生は何か真剣な面持ちで、クラスを眺めた。また「うるせぇ餓鬼どもだなー」なんて思ってるんだろーなと思った。
「せんせー何かあんのー?」一人の生徒が言った。先生の表情を察したのかしらん、あの子は...。「...はい。話さなきゃいけない事があるから静かにしてー」。勿論教室内は静かにはならない。先生はそれでも続けた。「最近、化学のA先生が学校をお休みしている事を知っている人はどのくらいいますか?」大半の生徒が手を挙げた。私も知っていた。A先生はここ2週間くらいずっと学校には来ていなかった。出張とか個人的な理由があるんだろうなと思っていた。なおも先生は続ける。「A先生がお休みしているのは、身体の調子がすぐれなくて、病院で検査をしたからです」...そーなんだ...つかそこまではっきり言うか。「A先生は11月の末くらいに検査をして、「がん」だとお医者様に言われたそうで、少し長くなるかもしれませんがお休みする事になりました。その間、代わりの先生が来る事になったので、みなさんもよろしくおねがいしますとの事でした」 ...私は頭の中が真っ白だった。A先生は、去年1年間お世話になった先生だった。こんな可愛げのない無愛想な、その上殆ど会話の続かない生徒に、最初から最後まで変わらない態度で接してくれた。少し贔屓もしてくれた。色んな話をしてくれた。特に好きだというわけではない。だけど「がん」という病気は私にとって物凄く身近なものだから。だから胸の奥にある何かが冷たい手で掴まれたような感覚だったんだ。ものすごく、すごくすごく、哀しかった。
それは、うちはがん家系と言っても過言ではないくらいがんの人がいるからだった。一番近いところで言えば父方の祖父。今年の春、がんだと言う事がわかった。私はショックだった。ものすごい大きな何かに潰されたような気がした。何もできない自分が惨めで惨めで仕方なかった。ちっぽけな人間なんだって事を改めて思い知らされた。哀しかった。人ってこうやって死んでゆくものだったな、と昔の事を思い出した。自己嫌悪に陥った。しかし祖父は、今では抗がん剤治療の回数も減って来ているし、普通に生活している。だけど私は思う。「がん」って病気を宣告された時、本人はどんな気持ちだったんだろうかと。祖母の話では、入院中毎日家族の写真を眺めては涙し、もう立ち直れないんじゃないかってくらい後ろ向きだったらしい。それを知った時、涙が出た。ものすごく痛かった。心が痛むってこういうことなのかって思った。
今回もそう。祖父のことがあったからかもしれない。ものすごく身近な人間がそうだからかもしれない。妙な親近感なのかもしれない。だけどA先生ががんだと知って、あの時と同じくらいこの胸は痛んだんだ。今年に入ってからも、廊下で擦れ違ったら私に笑顔を投げ掛けてくれたし、少し話しもした。もうA先生の生徒ではない私に。なんだか、嬉しかったんだ。だから、A先生ががんなんて信じたくなかった。他人ではあるけれど。何の関わりもないけれど。
そう。病気の話でした。
私にとってものすごく身近な問題だったんだ。痛かった。なんか恐かった。なのに胸の奥に穴が空いたみたいだった。
人が死ぬって、なんだか呆気ない事なんだよね(まだ誰も死んでねぇよ)。何度経験しても慣れられるもんじゃない。その度その度に、ものすごい喪失感に襲われる。小学生の私でも、解かるものがあったんだ。妙に冷めてたあの頃の私でも、何か大きなものを失ったような気がした。きっと今、誰かを失ったら私は壊れてしまうんだろうな。人の存在って案外大きいものなんだよね。
誰かが死ぬってものすごく突然で、ものすごく大きい事で、忘れられないものだね。
(だからまだ誰も死んでねーじゃん。)
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